『どうしてアメ車にはオートマが多いんだろう?』
アメ車好きの方なら一度はそう思ったことがあるはず。
大型高級セダンならまだしも、スポーツタイプのクルマでさえ、アメ車では昔からオートマです。
「スポーツタイプのクルマならマニュアルが普通じゃない?」と考える方も多いでしょう。
ギアチェンジのテクニックを駆使して、クルマの性能を思う存分に引き出すのも、ドライビングの楽しみのひとつですからね。
今回は、そんな感覚からすると、ちょっと意外なアメ車のオートマ事情に迫ってみましょう。
結論から先にいうと、アメ車にオートマが多いのはクルマ文化を大衆に広く普及させるためで、そのためには、運転操作がカンタンなことが必須だったからなんです。
どういうことなのか、早速みていきましょう!
車の運転は簡単な方がいいに決まってる!
アメ車にオートマが多いのは、クルマ文化を大衆に広く普及させるためなわけですが、そのためには運転が簡単であることは重要なファクターであると言えます。
諸外国と比べても特に「クルマ社会」といわれるアメリカ。
そんなクルマ社会を開拓したのが1908年のいわゆる「T型フォード」です。
このクルマは、工場に生産ラインを導入することで、大量生産を実現させたことでも有名なんですよ。
大量生産によって、比較的安い価格でクルマが大衆の手に届くものになった。これがT型フォードの功績です。
しかし、たとえ価格が安くなっても運転自体が難しかったならば、一般大衆には広まりませんよね。
そこで、T型フォードには、機械式の半オートマを搭載するようにしました。
ごくフツーの人にとっては、クルマの運転は簡単な方がイイに決まってますからね。
そして、このクルマの大ヒットが引き金となって、アメリカはクルマ社会へと歩み始めるのです。
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オートマの鍵はトルクコンバーターとプラネタリーギヤ
アメ車にオートマが多い理由がご理解いただいたところで、次にちょっとマニアックな話をさせてください。
現代につながるオートマの源流は、1950年代に遡ります。
当時普及したオートマ車は、トルクコンバーターとプラネタリーギヤを組み合わせたものでした。
トルクコンバーター(略してトルコン)は、よく「向かい合わせの扇風機」に例えられます。
電気で回っている扇風機の真正面に止まっている扇風機を置くと、それが風の力で回り出す、ってやつですね。
この利点は、つられて回っている方の扇風機を無理やり止めても、電気で回っている方の扇風機は止まらない、つまりクルマが止まってもエンストしないことです。
一方でトルコンの不利な点は、駆動系にオイルの流れ(回転流)を介しているので、特に初期のオートマ車ではパワーの伝達ロスがかなり大きかったことです。
それでも5,000cc、6,000ccも当たり前のアメ車のエンジンならば、そんなのはおかまいなし。
しかも、当時のアメリカではガソリンも安かったから、なんにも気にする必要がなかったんですね。
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日本でのオートマ普及の鍵は「特許切れ」?
アメ車にオートマが多いというのは、その歴史からみても納得がいくわけですが、日本はいつ頃から普及したのでしょうか?
実は、日本ではオートマの普及はそんなに早くありませんでした。
日本には、かなり昔からオートマ車があるにはあったんですが、その多くは高級車のオプション仕様で価格も高かったようです。
さらに大衆車はといえば1,000cc、1,300ccのエンジンが普通でしたから、パワーの伝達ロスも無視はできなかった。
何より、当時はオートマの主要技術を、アメリカの企業が特許で押さえてしまっていたのです。
かといって、アメリカのトランスミッションメーカーから出来合いのモノを購入するにしても、でかすぎて日本車には組み込めない。
そんな時代が続き、日本でもオートマ車が普及し始めたのは70年代後半、奇しくも50年代に出願されたアメリカ企業が出願した特許が切れる時期とほぼ一致します。
この頃には技術もさらに進み、オートマのパワー伝達ロス問題も実用的には解決し、日本でもオートマ車が一気に広がり始めたというわけです。
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まとめ
アメ車にオートマが多いのは、クルマ文化を大衆に広く普及させるには、運転操作がカンタンなことが必須だったから、ということを述べてきました。
パワーの伝達ロスというオートマ車の弱点も、アメリカでは問題にならなかったので、どんどん広まった。
むしろオートマ化という点では日本の方が乗り遅れてしまった、といっては言い過ぎでしょうか。
そんな日本でもCVTの採用などによって、コンパクトカーでもオートマが主流となり、電子制御の多段ATでは、人間の操作よりも賢いくらいになってしまいましたけどね。
すみません、余談でした。
今回はアメ車はオートマが多いよというお話でした!